ヲノサトル(音楽家)×平本正宏 対談
収録日:2013年8月7日
収録地: 渋谷駅周辺
対談場所:鳥竹(鳥竹総本店)
撮影:moco
<メディア激変時代の出発>
平本 今日はヲノさんの音楽人生について語ってもらえればと思いまして(笑)、僕がはじめてヲノさんを知ったのは『キーボードマガジン』か『サウンド・アンド・レコーディングマガジン』の明和電機の記事で、経理のヲノさんとして語られていて、ちょうど中学生くらいだったかな。その他にソロアルバムの記事も見かけたり、大学時代は音楽音響演習みたいな授業でヲノさんの「サインウェーブとホワイトノイズのためのソナタ」が教材・お手本として使われたりしましたし。それに加えて、ブラックベルベッツのようなムード音楽バンドもやっているし、多摩美術大学の准教授もされている。
ヲノ 一言でいうと得体が知れないと(笑)。
平本 そうなんです(笑)。その得体の知れない感がイコール、ヲノサトルとなっているところがあるじゃないですか。そのアイコンのでき方がすごくいいなと個人的に思っていまして。ツイッター上では子育てとお酒が中心になっていますし。そのヲノさんの作り方というか、どうやってヲノサトルが作られたのかを今回知りたいなと思ってます。
ヲノ わかりました。おっ、食べ物が来ましたー。
平本 あはは。(しばし歓談)
ヲノさん最初に作曲のために導入したコンピューターは何ですか? ちなみに僕は大学入学のお祝いで買ってもらったPowerMac G4なんですが、2002年製の。
ヲノ 最初に自費で買ったのは、Macintosh classic 2かな。その前にSE30っていう名機があって、その次かな。
平本君なんか生まれたときにパソコンあったでしょ?
平本 いや、生まれた時はさすがになかったですね。ワープロはありましたけど。
ヲノ ワープロあったね。いまは死語だね、一太郎とかあったよね(笑)。
平本 そうです、そうです。小さいころ親父が会社から担いで帰ってきて、かなり大きい印象だったんですけど、それでもそのとき一番小さいポータブルだったらしくて。しかも、印刷も感熱紙なんです(笑)、ファックスみたいに。
ヲノ あはは。こういう話がもう学生に通用しないんだよね。みんな生まれたときにネットがつながっていた世代だから。今の20歳だったら、93年生まれでしょ。niftyとかそういう感じだっただろうけど。
メディアって面白いよね。昔からYouTubeとかあったような気になっているけど、21世紀になってからなんだよね。
平本 そうですよ、YouTubeなんてあんなにサクサク見られるようになったのはここ数年ですよ。少なくとも2005、6年にはかなり大変だった記憶があります。
ヲノ もっと言うとインターネットのブラウザで鮮明に見られるのもね。90年代だったらブラウザもMozaicだった。
そういう意味では、メディアの激変をすべて渦中で見てきたからハッピーだと言えますね、それぞれの比較ができるというのは。メディアってその中にいると、そのメディアのことはわからないから。すべては変り続けていくわけだから、平本君もまた何かの過渡期にいるんだと思う。
平本 それは何か感じます。たぶん10年くらい経ったら、面白い軌跡が見られたりするんだろうなと思ってます。
ヲノ 平本君が作曲家になろうとした時はまだ作家主義とか、音楽を作っている俺の自意識みたいなものがあったと思うんだけど、そういうのはいまなくなってきているんだよね。音楽を作るのは誰でもいいじゃん、そんなことよりも今鳴っているこのサウンドがいいじゃん、みたいな方向にいま行っていて。
平本 レーベル立ち上げるときにそこらへんの問題とはだいぶ向き合いました。ちょうどレディオヘッドが独立したり、日本だとGLAYが独立したり、90年代後半からのインディペンデント・レーベルの流れとは違った、インディペンデントの流れができた時期だったので。大手レコード会社の景気が悪くなったり、潰れたりした時期で、UstreamやYouTube、ニコ動、ツイッター、Facebookと個人が簡単に参入できるメディアが増えて、プロとアマの境界線が曖昧になってきて、バックグラウンドや所属会社よりも面白いもの、音が注目される時代になったのは感じましたね。